hagiwara.jpg私がオステオパスになったきっかけ

みなさんこんにちは。
私がオステオパスを志したのは30歳を越えてからでした。それまでは医療系とは無縁の世界に居たのですが、新しい事、しかも一生をかけて歩むべき道は何かを考え直す機会を経て、結果出てきた答えがオステオパスだったのです。

 私は元々、野外に人を連れ出す仕事であるネイチャーガイドの仕事を軸に、アウトドア用品の販売会社に勤務するなどしていました。
世界自然遺産の島でウミガメ保護のボランティアをした事をきっかけに登山ガイド、東京に戻りシーカヤックのガイドをしました。その後もエコで有名なアウトドアアパレル企業に籍を置くなど、大学を出てから10年間はアウトドア一色でした。理由は、楽しかったですし、最近よく耳にする「エコロジー」という言葉で表される環境に関わる仕事をしたいと、子供の頃から思っていたからです。

 そんな自分が手技の世界に興味を持ったのは、自らの体が悲鳴をあげ始めた事です。体力自慢だった二十代を過ぎ、色々な無理がいっぺんに表出してきたのです。慢性的な腰痛、首の痛みと張り、続く痛みによる脱力感です。その時に気がついたのが、どんなに楽しく前向きに生きようと思っても、体から来る制限によって精神的な部分に対しても影響を与えてしまうのだという事です。一年以上痛みと戦いましたが、僕の場合はどこかで治療を受けようという発想に結びつかず、本格的に勉強して治してやろうと考えました。「手技療法家になろう」という言葉が浮かびました。仕事を変える事に関しては、正しく努力すればメシくらいは喰えるだろうくらいのぼんやりとした気楽な考えでした。

 さて、「手技療法家」を目指すわけですが、全く知識が無いところからの選択です。本気でやるなら3年制以上の学校は最低条件だと思い、その条件で探す事にしました。少し調べると柔道整復師という資格が眼についたのですが、事情に詳しい友人の柔整師に話を聞き、すぐに選択肢から消えました。僕の「治したい」という目標とは別の世界が確立しているように感じたのです。次に考えたのは鍼灸師です。これば凄く興味をそそられましたが、学ぶ為のハードルが高すぎるように感じました。答えが明確にある中で勉強をしてゆくのなら頑張れるけれど、道を究める為には古文書を読み漁り、師匠に何年も付き(好意的な師匠なら良いのですが)、その上で君は見えてないから才能がないと言われ・・・とか諸々は三十路を越えた今、少なくとも自分はするべきではないと思いました。
最終的に、カイロプラクティックとの二つで考えましたが、テクニックの幅、オステオパシーの持つ哲学から、オステオパシーの道に進む事に決めました。しかし何よりの決め手はその業界が持つ雰囲気が自分に合った事です。そしてACOに現在集まっている先生方との出会いがそれを決定付けました。もちろんそれは正しい選択でした。僕自身の症状も、オステオパシーの根本的な治療によって取り去られました。今では自分が回復したので人の施術ばかりしています(あたりまえか)。

 最後に。文のはじめにアウトドアの仕事をしていた話を出しましたが、僕はその道を絶って全く違う事をしているとは考えていません。
前の仕事は、街で疲れてしまった人達を外に連れ出して眼を輝かせてもらう、自然環境について考えてもらう事でした。ですが、これはオステオパスでも出来るんです。しかし向き合う対象は自然ではなく、そこで生きる患者という人間自身です。人体や心を自然な状態に戻せば、自ずと健康を取り戻す。心も晴れやかになれば人に優しく出来る。人に優しく、自分に優しくなれれば、その人達が生きる環境や周りのものに優しく出来る。良い循環が、もし自分の手をきっかけにどんどん作る事が出来たら!すごいぞー!!なんて、夢を見ています。わくわくしています。これは個人的な話ですけど。

長くなりましたし、まとまりの無い文で申し訳ありませんでしたが、最後まで読んでくれた方、有難うございます。 当学院の講師は個性満点です。 次回以降もお楽しみに。 それではまた。  

アトラス・オステオパシー学院講師

萩原 健